ありがとうと伝えたくて③

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お願いして、働くようになったものの、日々ライブや舞台、お稽古等に追われる私に、文句一つ言うわけでもなく、月に多くて56回、少ないとたった1度しか入れない時も、女将さんは文句も言わず、NOKOちゃん忙しいのに悪いねと言っては、迎えてくれました。

またいつも私のブログに目を通して下さっているようで、落ち込んだり、腹が立った事などを書くと、人生いろんな時があるけど、頑張れ〜と常に励ましてくれました。

私が鼓さんでインストアライブをさせていただいてから、お店では半年に1度、様々な演奏家の皆さんをお招きしては、特別料理を楽しんでいただけるイベントを開催致しました。

マリンバ、ギター、ピアノ、オカリナ、津軽三味線、琴、琵琶。
その度に、ブッキングから音響、司会、プログラム作りまでを、担当させていただきました。

また外国のお客様や退院祝い、還暦、出版祝い、お誕生日、クリスマスなど目出度い席に、三味線を弾いて欲しいと言われれば、子供たちと何度も演奏にお伺い致しました。

そして昨年9月20日、岡崎で開催した私の初リサイタル横井則子ピュアコンサート

岡崎出身の女将さんは、自分はお店があって、コンサートには行かれないからと、わざわざ予約の入っていない昼間を利用して、岡崎のご友人宅まで、ご同行くださり、たくさんのチケットを販売してくださいました。

また長女の高校の合格が決まると、巨大な鯛の塩釜をプレゼントしてくださったり、更に今年の3月の終わりに、娘の16歳の誕生日会にとお店を訪れた際にも(既に体調が悪かったにも関わらず)とっても美味しいお料理と鯛の塩釜を作ってくださいました

そして、最後にお会いできたのは…くしくも920日。
長女の誕生日会以来、女将さんの希望でお会いできなかったので、次女の民謡の全国大会のお土産を口実に、アポなしで無理やりお宅にお邪魔した時の事でした。

女将さんは思い掛けず、わざわざ次女が乗っている車まで歩いてきて下さり、いつものように「ななちゃん!」と声を掛けてくださいました。

それから、外食をする度に、「鼓さんより、美味しいお刺身が食べられるところはどこにもないね」と家族で話しては、女将さんから「元気になったよ。みんなで一緒にご飯食べよ」とお電話をいただける日を指折り待ち続けていました。

昨夜お通夜から帰ると、去年大きいおばあちゃんが死じゃった時みたいに、ここ(胸)がキュ〜ンとする。今でも女将さんが「な〜なちゃん」って後ろから声を掛けてくれるような気がする」と次女がポロポロ涙を流しながら、言います。

短かったけれど、私だけでなく、私たち家族にとっても、たくさんの事を教わり、いろんな事を体験させていただいた3年間。本当に感謝の気持ちで一杯です。

大根おろしは、丸く円を描くように卸す…とか、
大根のツマの盛り方…ワサビの盛り方…
苦手だった甘エビの下処理方法…
生のホタテや牡蠣の下処理の仕方…
生ビールの注ぎ方(笑)…
美味しいブリ大根の作り方や
煮物の盛り付け方…
大量な竹の子の下処理法とか…

…思い出せないくらいたくさんの事を教わりました。

「お母さんは覚えていますか?」
今日、お葬式で長男、洋一さんがお母さんに送った手紙。

お母さんはいつも息子さんお二人の事やお孫さん、お嫁さん、そして勿論ご主人の話ばかりされていましたよ。
お母さんは覚えていましたよ!

3回も高校で停学になり、学校に呼び出されたり、友達を助けに行ってボロボロに殴られて帰ってきた長男さんのこと。その時、お父さんが格好良かったこと。

学生時代はあんなに荒れていたけど、頑張って本を出版できるまでに立派になった長男さんのこと。

ビデオや映画を何度も次男さんと観たこと。
ダイエットしてること。

息子二人にヨーヨーマのコンサートチケットやCD、歌舞伎のチケットをプレゼントされたこと。

船に乗ったことのないお孫さんを内緒で琵琶湖に連れて行って、無理やり乗せようとすると「やっぱり乗るんだ」とお孫ちゃんに悪態をつかれたこと。

無農薬の野菜をお嫁ちゃんの実家からたくさんもらったこと。
うちの鍵をお嫁ちゃんの実家に忘れて、家に入れなかった息子さん家族のこと。

夏の暑い時も、冬の寒い時も、いつもお店の素敵な庭園の手入れを欠かさなかったご主人に
女将さんがそっとお茶を差し入れしたり、終わると「ビール」と言うご主人に文句も言わず、生ビールを出してあげてたこと。

女将さんはご家族のことをっぱい愛してましたよ。

ありがとう女将さん。
そしてお疲れ様でした女将さん。

出会えて良かったです。
ゆっくりお休み下さいませ。nokoyokoi


ありがとうと伝えたくて②

2月の終わり頃になると、突然彼女から1本の電話が入りました。
『人手が足りないので
誰か時々お手伝いに来れるようなお友達はいない?』
そんな内容のお電話でした。

ところで…お店にお出しするものは、全て女将さん(ここからはこう呼ばせて頂きます)の手作りでした[E:heart04]
「おばんざい」…というと、京都の家庭料理…というイメージを持たれる方も多いでしょうが、基本はお昼でも、前菜、(お吸い物、土瓶蒸し)、(お寿司)、(鍋)、お造り、焼き物、煮物、揚げ物、ご飯、お味噌汁、香の物、デザートまで…旬の食材を美味しい時期に味わっていただけるよう、料金に応じた、お任せ創作料理のフルコースになっていました。

またお任せと言っても、予め、会の趣旨をお伺いして、慶事、仏事に合わせたお料理や器を用意し、敬老、お誕生日、還暦、七五三、顔合わせ…等、目出度い集まりには、女将さん特製の鯛の塩釜をお出ししていました(これが美味しいのなんのって。うちの子供たちも大好きでした)[E:heart04]

しかし、決して板前さんなどは雇わず、手抜きすることのないダシ作りから味付け、食材の買い出しや下処理まで、女将さん一人でこなされていました。

そんな女将さんの脇を固めていたのは、20代から60代の全て女性達。
本業や主婦の仕事の合間を縫って代わる代わるやってきては、女将さんのヘルプとして、調理補助や盛り付け、客応対、後片付けを担当していました。

初めは、女将さんの美味しいご飯を少しでも勉強できたら、という思いから…だったと思います。私も間もなく…お友達と一緒にそんな女将さんのお手伝いをすることになったのでした。

nokoyokoi

ありがとうと伝えたくて①

ありがとうと伝えたくて①
ありがとうと伝えたくて①
一体どこから話をしたらいいのか…

11月6日、私の大切な人…3人目の母(実母、嫁ぎ先の母に続き…)とも言うべき人が進行性大腸ガンにて、63歳という短い生涯にピリオドを打ちました。

私と彼女の出会いは今からちょうど3年程前の11月。

彼女が緑区の端っこで経営する小さな料亭『おばんざい鼓』さんに演奏に伺ったのが初めての出逢いでした。

その際、ムードメーカーのご主人が主に盛り上げ役を担当し、途中で茶々を入れながらも、温かく楽しくインストアライブをもり立てて下さいました。

年が明けて…、万博の際に知り合いになった書道家の先生がご自分が主宰する教室の展覧会を開かれるというのでお邪魔すると、そこに見覚えのあるご夫妻の姿が…。

あれ?

実はその書道家の先生と彼女は偶然にも岡崎の高校時代の同級生だったのだそうで、ご夫妻でたまたま展覧会に足を運んだところ、私と…それもまた岡崎という離れた場所で再会する事となったのでした。

これが彼女との記念すべき2度目の再会となりました。

今思えば、この偶然の出逢いが私たちの距離をぐ〜んと縮めてくれたような気がします。

☆⌒(>。≪)nokoyokoi