わがままな父でした

遺影にしたのは…

沖縄、カヌチャベイリゾートの構内で撮影した写真。

神着(カヌチャ)。

神様が到着する港に建つ大型リゾートホテル。

そこでの写真がまさか遺影になるとは…。

これも神様のお導きなのかもしれませんね。

お酒と野球とお相撲が大好きだった父。

夕方になると…

大音量でテレビやラジオの中継番組をかけながら…毎晩、晩酌をしてました。

10年程前、心不全で入院するまでは…

父と母を誘って…

いろんな場所に旅行に出掛けました。

美ら海水族館。

人工ビーチ🏖️

マリンブルーに輝く海にかかった大橋を渡り、古宇利島へ渡ってもビールで乾杯🍻

JALリゾート。

子ども達がホテルのプールで遊んでる間に…

3人で沖縄の最北端、辺戸岬へ。

辺戸岬はまさに山原(やんばる)の先っちょ🏝️

途中はとんでもなく南国の植物が群生しているので…道はここで合ってる⁉️なんて思いながら岬に到着。

断崖絶壁の絶景を楽しめました。

那覇に戻る途中に立ち寄った北谷アメリカビレッジ。

旅に疲れた父は…

ここで遂に買い物をしている時間を持て余し…

もう名古屋に帰りたいと言い出す😭

旅はいつもそんなワガママな父との戦いでした😆

国際通りにあるネーネーズさんのお店🎵

ここでも乾杯🍻

お酒が入ると…ご機嫌(笑)

沖縄音楽が始まると一緒に踊ってくれたカチャーシー❣️

これは私のライブで踊っていた父。

幸せそうでしたね。

親戚で集まっても…

もちろん🍻

長崎。

ハウステンボス。

佐世保の居酒屋、離(はなれ)。

佐世保出身の方に美味しいお店を教えてもらいました🐟

メガネ橋。

今オンエア中のドラマ『君が心をくれたから』でも度々登場する橋。

長崎出島。

長崎の原爆の地、平和公園。

白鳥物語さんなど、ライブは必ず見に来てくれました。

私のカラオケ教室にも脳トレの代わりになればと、参加してくれてました。

坂野家新年会。

心不全で2度程入院すると…

突然…認知が進み…

ベッドの上で立ち上がって、点滴を引き抜き血だらけになったり…

カテーテル手術後、手首に付けた器具を勝手にグリグリ回してしまうので…

何度も動けないように拘束されて…

遂に…

退院の際には…

自分で靴が履けなかったり、パジャマの上からスーツを着ていたり、自分の名前も書けなくて自分でも驚いていました。

認知症状が酷くなり…

家に戻った1ヶ月は母にとって、とっても大変な事になりました。

排泄、お風呂、塩分を6gに抑えた食事は…

なかなか大変で…

当時、大病を超えて間もない母にとって、自宅での介護は不可能だったので…

嫌がる父をケアマネさん2人が両脇を抱えて…

『危ない😭何処に行く〜〜⁉️』と叫ぶ父を

無理矢理…車に乗せて…施設へ。

 

施設に入れた時は…

まるで『姥捨山』が頭をよぎり…

母も私も罪悪感で一杯になりました😭

 

まずは老健施設さんのお世話になりました。

途中…ショートケア施設などでもお世話になり…

介護付き高齢者住宅に移ってからは…

そこからデイサービスにも通っていたようです。

認知さんが重度になってからは…

余計なことは言わなくなったので…

文句もワガママも鳴りを潜めて…

いつもニコニコしていたようです。

入所してから…

実姉さんが施設の父に会いに来てくれました。

これが二人の最後の再会。

お姉さんは今も施設でご健在のようですが…

まさか弟が先にこの世を去ったとは…

思ってもいないでしょう。

会えて良かったね。

おばさんちの長女のまさこさんも。

私たちよく似てますね💦

実は歯並びも(笑)

Processed with Focos
Processed with Focos
Processed with Focos

親戚の集まりにも来られなくなって…

更に…コロナが始まってからは窓越しにしか会えなくなりました。

初めのうちは…会いに行くと笑顔を見せてくれていましたが…何年か過ぎると…携帯で話をしても…外の我々と話している事が理解出来ない様子で…面会の途中で席を立って行ってしまい、母もとても残念がる状況になりました。

最近は自分では食事も排泄もできず…

常に介助の必要があったようです。

 

2023年の秋くらいからは…

入退院を繰り返す日々。

時に誤嚥性肺炎や…胆汁が排泄できず炎症が起こると発熱。

その度ごとに病院と施設を行ったり来たり💦

最後の入院は…胆嚢に溜まった胆汁を排泄する事が出来ないので…

肝臓を通過して胆嚢に管を通して…

体の外に排泄できる処置をしてもらって退院。

施設に戻ると自分で自らお茶を飲んだり、プリンとかもたくさん口にしたようですが…

翌日には誤嚥で…

またまた発熱。

血圧も低くなり解熱剤も使えない状況。

点滴で栄養を与えたくても…

既に針が血管に入らず…

皮下に水分だけ入れることに。

もう病院には戻らず…

最後は施設でと勧められたので…

最後の数日は…

日に4回…夜中も看護士さんが通ってケアをしてくれました。

最後の10年はほぼ施設にお世話になっていましたが、足掛け60年間寄り添った父母は立派です。

悪口を言っていても…

やはり夫婦なんだなと…

思えるシーンがたくさんありました。

面白いですね。

2024年1月23日。

満90歳を迎えた父。

最後の8年間…

お世話になったリラクシングライフさんには感謝し切れません。

お通夜にもスタッフさんがたくさんご参列くださいました。

たくさんこんな父を可愛がって下さいまして…本当にありがとうございました。

ご参列くださいました皆様に…

父の最後を見送って頂きましたこと…

心より感謝申し上げます🙏