ばぁちゃんが亡くなりました。

ばぁちゃんが亡くなりました。
小さい頃から商売をしていた我が家では、ばぁちゃん(母の母)は、いつも私の母親代わりでした^_−☆
習い事や病院に連れて行ってくれるのも、ご飯やお弁当を作ってくれるのも。
でも他のお母さんより老けたお母さんと思われないように、そんなばぁちゃんを見つけると、私はみんなの前でわざと『おばあさん‼︎』って呼びました。
また、ばぁちゃんが毎日作ってくれる煮物中心の茶色いお弁当が恥ずかしくて、一生懸命隠して食べたり、冷凍ものをたくさん買ってきてもらっては、可愛いお弁当に見えるように、自分でお弁当を詰めました(^^;;
今思えば、何てばぁちゃん不幸な体裁ばかり気にしいの子どもだったのでしょう(^^;;
たった43歳で初孫(兄)を抱いた祖母。 今の私の方がずっと年を取っているのに(^^;;
そんな飛び切り若いおばあちゃんをつかまえて……私は何て事をしてきたんだろう?
果たして、そんなおばあちゃんに私は何をしてあげられたんだろうか?
大学時代、ロックバンドを組んでいた時も、そして、10/17の2ヶ月前の私のコンサートにも(退院した奇跡的な3日間に)ばぁちゃんは友達や家族を大勢伴って、いつもいつも私のステージを観に来てくれた。
畑仕事、編み物、和裁なら何時間でも集中して手を動かし、上手にこなす疲れ知らずのばぁちゃん。
戦時中、病気で二人の子どもを亡くした事も、農業の合間を縫って、畔で母乳をやったけど、栄養も足りんかっただろうし、調子が悪くても気づくのが遅くなるし、と言って、決して姑さんのせいにはしなかったばぁちゃん。
ちょっとノンビリだったけど、94歳と10ヶ月で、この世を全うするまで、頭も全く呆ける事もなく、ひ孫のこずかいまでに、もらったか?と気を配るばぁちゃんでした。
最後の願いは、どうしても家に帰りたかった事。 こんなもんしても仕方がないと、2日前、体温計や酸素吸入器やその他の機器を放り投げてごねたと病院から報告を受けました。
でも、願いは叶えてあげる事ができませんでした。
2013年12月18日(木)の昼頃。 誰もいない病室で、いつの間にか、静かに息を引き取っていました。
明日(20日)、明後日(21日)。 私は最後に、そんなばぁちゃんの為だけに、歌を歌う事にしました。
私の声が出るようになるまで待っててくれたばぁちゃんの為に、ありがとうございましたと伝えられるように。
神様、どうか涙で歌えなくならないように力を貸してください。 お願いします(^з^)-☆
nokoyokoi\(^o^)/

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