昨夜は藤ヶ丘にあるココペリジャパンというお店にまたまたミラクルカフェさんが出演されたので、応援に行ってきましたよ。相変わらず爽やかでソツのない癒しのステージを見せて頂きました。お疲れ様です。またミラクルの他にも森真人さんなど2組のアコサウンドを楽しませて頂きました。皆さん月に何本もライブをされるような方ばかりで、感心しました。またシンガリを務めたミラクルの出番には、お客様全員にチビシェーカーが配布され、店全体でミラクルサウンドを楽しみました。楽しいライブ一番!またたくさんの方と名刺を交換しました。では『出会いは大切に』は次回をお楽しみに。nokoyokoi
出会いは大切に④
まもなく軽音楽部も引退の季節が近づいた頃、①でもお話したように、とあるお店で歌うというお話しが舞い込みました。しかし結局そのお店では本格的に歌う機会は訪れませんでした。その代わり、私にとって一生のお仕事になる「CMの歌」との出会いが待っていました。それから卒業までの1年弱で14,5曲のCMを歌いました。また当時アルバイトをしていた広告制作会社では、数多くのCM制作現場にも立会い、イベントの運営にも携わりました。そして気が付いた時には、就職希望の友達はほぼ就職が内定…[E:sweat01]「みんなOLになるんだ~いいな~!」と内心羨ましかったものの、全く就職活動もせず、懲りずにアルバイトに勤しんでいた私。そんな私に、またもや運命の電話がかかったのは…卒業式を来月に控えた2月のことでした[E:coldsweats01]「追加募集のある企業があるから就職試験を受けませんか?」バブルが弾ける数年前!企業は人材の確保に奔走していたのでしょう。でも何故?大学の学生課から私にだけ電話がかかってきたのか?…未だに友人全員の謎!です(笑);…成績が良かった?イヤ~っ!それは決してありませんけど…[E:coldsweats01]突然降ってわいたOLへの道[E:shine]しかし、当時「証券屋=株屋」ということも知らなかった世間知らずの私が、証券屋に就職し、他5名の女子に混じり、3月終わりには100人程の男性新入社員さんと共に、10日間河口湖畔の研修場に送り込まれ、証券を取扱う為の資格試験を取得する講座を受けることになろうとは、その時は夢にも思いませんでした[E:sweat02]しかも証券屋さんは朝が早い!7:30に出勤!22:00まで残業。それから歌の仕事に行き、夜中の2時まで歌い、寝ると6:00には起床し、また職場に向かうという…2足のワラジを履く生活がそれから2年半続きました。nokoyokoi
出会いは大切に③
私が進学した大学(当時は女子大でした)には1つだけ軽音楽部がありました。バンドをしたくて短大ではなく四大に進んだのに、その部活ではなんと1年間は“修行期間”ということらしく、折角入部したにも関わらず、バンド活動が禁止されていました(何でやねん[E:coldsweats01])。なので、1年間はステージにも上がれず、ひたすら発声練習と先輩達のステージのボウヤや荷物運びばかりしてました[E:sweat01]女子大には当たり前ですが、女子しかいないわけですから、機材を運ぶのも、シールドを巻くのも、み~んな我々女の子の仕事。また合宿や演奏会となると、PAやでっか~いスピーカーもドラムセットもキーボードもエレピ(CP-80はとっても重かったですよ)もすべて部員だけで2Fの部室から降ろして、バスに積み込むことになるので、1年間ですっかり力持ちなったことはいうまでもありません[E:coldsweats01]2年生になりやっとバンドを組ませてもらったのですが、3年生の12月の定期演奏会でなんと引退…[E:sign02]これはさずがに驚きましたね[E:sweat01]4年生はOGとなり、就職活動に邁進するということなんでしょう。3年になって最も実権を握った時に、引退の時期はともかく、せめて下級生は1年生から活動をさせてあげようと、規約を変更してしまいました。
大学時代はたまたま組んだバンド仲間がアメリカンロック好きの子が多かったので、今の私からは考えられませんが、パットベネターやボンジョビ、スティックス、ジャーニーといった曲を中心に演奏するレディースのコピーバンドをしていました。週に3度ほど、授業が終了するとエアコンもない部室に籠り、ストイックに練習しました。当時コンテストにもたくさん出場!その時に同じように出場していたのが、後にロックバンド、PEARLとしてメジャーデビューを果たした田村直美さんでした【『カメリアダイヤモンド』のCMで起用された『永遠の一秒』のヒットに続き、テレビアニメ『魔法騎士レイアース』のテーマ曲『ゆずれない願い』でオリコン7週連続のチャートベスト10入りと120万枚を超えるミリオンセラーを達成、1995年のNHK紅白歌合戦に出場した】。お嬢様学校で、ピラピラしたキレイなお揃いのコスチュームを身に纏い出場していた私達に比べ、田村さん率いるSTEPは全身真っ黒!犬風の首輪とか皮パンが似合うバンドでした。時には彼女達から「私達もそんな可愛い格好をしてたまには演奏したいわ!」などと、嫌味も言われましたね(笑);でも彼女は常にボーカル賞を取るほどの実力の持ち主で、当時から輝いていました。ストイックという意味では、所詮部活で活動している我々とデビューをかけて頑張っている彼女達との間では比較にならない程温度差を感じたことを覚えています。それから間もなく世の中は「PRINCESS PRINCESS」や「SHOW-YA」といったレディースバンド時代の到来へ。昨年、田村直美さんも20周年を迎え、アニバーサリーライブをしたのだとか…。また最近、プリプリのライブDVDの発売やSHOW-YAの復活ライブの話題も耳にしました。私もまだまだ頑張らなくちゃ!レディースバンド時代もまた私と共に駆け抜けた青春の1頁でした。nokoyokoi
出会いは大切に②
小さい時から歌うことが大好きで、小学校当時、カセットテープすらも家庭に普及していなかった時代に、何故か?我が家にあった唯一の録音機材!はオープンリールタイプのダイヤルをガチャっと回すと、生音が収録できるというものでした(まだあるかな?)。私はこれまた大好きなアニソンを録音しては聴いて楽しだものです。母は当時習っていた詩吟を録音してましたね(多分、それが目的で購入したんでしょう~が[E:coldsweats01]笑)。今や一般視聴者が出場できるような歌合戦などという番組は少なくなりましたが、当時名古屋のテレビ局で制作、OAされていた『どんぐり音楽会』に出演したくて(以前もお話しましたね)、妄想だけは膨らんでいたのですが、度胸がなくて(基本!気が小さいので[E:sweat02])、実際に出演することはありませんでした。小学校の高学年になるとクラスにピアノを弾ける子が少なく、担任の先生もピアノが弾けなかったので、歌のテストの際は、クラス全員分の伴奏をした後で、自分の歌のテストはピアノを弾きながら、歌いました。よく考えたらこれは初“弾き語り”ですよね(笑);また突然何かの曲を作曲して!と言われたり、卒業記念の3畳ほどのモザイクをデザインして壁画を作れ!と言われたり(図工も大好きでした。15年程前に小学校の体育館にお邪魔した時にまだ、飾ってありました。今もあるかな?)授業も出ず何かと一人で黙々と作業した記憶があります。今思えばそれっていいの?とか思うような出来事ですよね!当時は誰もが大らかで、先生からも過大に評価、期待されていたような気がします。中学に入り思秋期になると、歌のテストで歌う度にクラスの皆から「ひゅ~!」などと冷やかされるのが嫌で、いつしか、大きな声で歌えなくなりました。そんな時に出会ったのが、中学校の音楽の先生でした。彼女はNHKの『のど自慢』に出演しなさい!と熱心に勧めて下さったり、私が(ギターの弾き語りで)作った曲を録音して、卒業式のBGMとして流してくださいました。お蔭で徐々に歌う自信を取り戻すことができました。高校時代に夢中になったのはピアノの弾き語り。学祭ではユーミンの曲を弾き語り…、たくさん自宅録音しては友人に聴かせていましたね。でも今一つ積極的な性格でなかった私。しかしこうした音楽活動を通して、更に音楽にのめり込み、“歌うこと”が天職なんだ!と益々妄想する女の子に成長したのでした。nokoyokoi
P.S.若きボーカリスト・あさかちゃん!コメントありがとう!おばちゃんのひとり言を聞いてくれてありがとう~[E:heart04]素敵な歌が歌えるあなただからこそ!期待しています。ファイト~[E:scissors]
出会いは大切に①
私にとって「出会い」はまさに私のこれまでの人生を語る上で、欠かせないもの。私とCMの仕事の出会いもまた、そんな「出会い」から始まりました。
大学時代軽音楽部に所属していた私(1年でも長く勉強をする為ではなく、バンドをする為に四大に行かせてもらいました[E:coldsweats01])は、たまたま部活のボーカルコーチとして訪れた女性(初代アパートニュースを歌った方。因みに私は2代目で~す[E:happy01])に「私がお休みの時に、私のトラ(代わり)として歌ってくれない!」と、とあるお店で歌う仕事に誘われました。そしてその店で出会ったのが、今や名古屋CM界のドン!その店の箱バン(お店専属のバンド)の当時ギターを担当していた原淳さん(元アクエリアスのボーカル&ギター。現アーバンライフスタジオ経営)でした。初めは無口で、ボソッ!と時折、妙な駄洒落[E:sweat01]を発するそんな年上のオジサマ(お兄さんにしておこう!)に「CMの仕事を始めようと思ってるんだけど、一緒にやらない!」と誘われた時にはビックリ!それが今から22年前のこと。私とCMの仕事が出会った瞬間です。市内の普通高校に通っていた時代、音大に行きたい!と突然思い立ち、1年ほど勉強した挙句、途中で放り出した私。ならバンドを真剣にやれば、いつか歌で食べていけるかも?などという壮大な妄想を抱いていた私に、あっけなく訪れた「歌の仕事」でした。続きはまた明日~[E:notes]nokoyokoi